もう一カ月前のことになるが、私が演劇を始めるきっかけでもあった演出家、蜷川幸雄氏が亡くなった。

私の初舞台は、現代人劇場や櫻社で蜷川氏の助手をしていた、W氏演出の青山劇場での舞台だった。

その影響もあって、私は高校卒業後、蜷川幸雄氏が学長を務める桐朋学園に入学した。

私が桐朋学園に入学したばかりの時、若く怖いもの知らずだったため、初めて蜷川氏と学園内でお会いした時に、これを逃す手はないと思い立ったが早いか、これから稽古を見に行きたいと、突然言ったことを今でも覚えている。

最初は驚いたような様子だったが、私が演劇科の学生だとわかると、時刻と稽古場所を教えてくれた。

その時の稽古場は、さいたま芸術劇場。劇作家井上ひさし作「ムサシ」の稽古の真っ最中。まさに蜷川氏の葬儀で弔辞に立った俳優たちも居た現場だった。

熱のこもった稽古に私も興奮して熱くなった。そして同時にこの人たちに負けてはいられないと強く思った。

それが私に火を付けたのか、桐朋の蜷川氏の講義では初めての授業にもかかわらず、講義はつまらないから実技の授業にしてほしい、などと今ではとても言えぬ失礼なことを蜷川氏に直接訴えた。

「そこまで言うならちゃんと稽古してみせろよ!」と、蜷川さんは不機嫌そうに、でもどことなく嬉しそうに言った。

課題はハムレットだった。

それから授業は小劇場を使っての実技に変わり、私も気合を入れて必死で稽古をして授業に挑んだ。まわりの学生は積極的ではなかったので私とその相手役だけが、その授業で芝居を見てもらえるという贅沢な時間が何回もあった。生意気だった私に、蜷川氏は怒鳴るような指導はしなかった。それは少し拍子抜けしたくらいだった。

ハムレットのセリフはこう言うんだ、この独白はこう動くんだと、私の肩に手をのせながら道のりや目線を教えてくれたことは今でも鮮明に覚えている。

そして、私と会話するときも、まるで私の必死の訴えを正面から受け止めてくれているような、父のような優しさがあった。そして私は一年の間、蜷川氏の稽古場に通い詰めたのだった。

そして二年と少し前。

私が卒業を機に某劇団に入団するのを報告したとき、凄く驚いたあと、はにかみ笑いをしながら「俺から教わったって言うなよ、俺はあの人(劇団の代表)には頭あがらねぇんだから。」っと仰っていたのが最後の会話になってしまった。

学生時代、あの時、身体で感じ、学んだ事は演技をする上で非常に役に立っている。一生の宝物をもらったように思う。本当に、感謝してもしきれないくらいだ。

蜷川さん、心からの感謝と、ご冥福をお祈り致します。

 

 

                                         本郷啓樹